初音ミク問題<マジで言論統制?

初音ミク」画像がネットから“消えた”?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=319093&media_id=32

『「初音ミク」画像がネットから“消えた”?』
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/18/news040.html

まだ、真相はよく分かってないけど、
自分の推測では、

初音ミクブームをつぶそうとする何者かが
組織力(金/権力/頭数)を動員して
検索エンジンの出力結果を変えた

ネットワーカー(表現古いなw)にとって、ネットは言論の自由に直結した場で、
それを蹂躙されたという(ネット上の)歴史的な事件になるかも。
たとえば「Googleに広告料払えばランキングがアップする」ってのは、まあ、サーバー維持費とおもって、割り切って使ってるんだが、今回のは、「特定のブームを意図的にぶっつす」ってのが恐怖を感じたり。

今後ありそうな展開として、「クリプトンがYAMAHAからのライセンス停止」とか…。YAMAHAの企業体質は正直わかんないので、推測ですが…。考えすぎなのを祈ります。

          • (以下、長文です)------

今回のはおそらく「著作権」を根拠に焦土作戦が行われている感じだけど、
著作権ってのは、思想の領域になっていると思うので(自分的には)
「人類すべての創作物をすべての人類が共有する」っていう、極端にフリーな考え方も、「悪」ではないと思う。ただ、現行の法では違法になるだけで。
そのオールフリーな考えはあこがれではあるんだけど、オールフリーにしちゃうと、職業クリエーターが成り立ちにくくてマイナス面もでかいってのは重々承知。でも、あこがれる。

オタク業界でも、(おおざっぱに)コミケ系の人たちとワンフェス系の人では著作権の思想が正反対というぐらいに違う。コミケ系は濃いグレーでワンフェス系は潔癖って感じ? この辺はそこに至ったまでの経緯と思想に基づいているので、単純に善悪は言い切れない。コミケ系は現行法だと限りなく黒ってのはたしかだけど。
※この場合のコミケ系=もろ複写や儲けすぎなければ、2次創作はOK…かな?
ワンフェス系=版元に許可をもらわない限り、販売しない。

さて、ネットではっていうと、思想的にフリーな思想に近いと思う。
これは、ずるずるとゆるゆるになったというわけではなくて(そういう側面もあるけど)
パソコンをあつかう上で情報の共有はかなり重要だということ。

パソコン(主にソフト面)はいわゆるフリーソフトの恩恵が大きくて、
(たとえば、今はWindowsに標準で搭載されているzipは昔はフリーソフトだった)
FEPとOSはメーカー製使ったけど、その他のソフトはすべてフリーソフト」って状況は当たり前だった。(90年代)
中でもLHAはすごいお世話になった。いまでも.lzhは普通に使ってる。
あと、自分のパソオタの原点はベーシックマガジンだけど、それに掲載されたプログラムを打ち込んで遊んでた。んで、ソースをいじって、真似してって感じで遊んでた。

自分が職業プログラマの頃も、ネットで検索したサンプルプログラムをコピペして使ったとかよくあった。というかネットにFAQとしてまとめてあった。
パソコントラブル解決の知識もwinfaqなどの個人サイトから得ることが多かった。(今はマイクロソフトのサポートページに結果的に行き着くことが多くなったけど)
なので、そうやってフリーの恩恵を受けて育つと、フリーで還元したい気持ちが湧く。かといって、フリーで得た知識で金を取るのは矛盾してないと思う。
(この辺の考えもあって、現行の著作権法のデリケートさがあると思う)
シェアウェアの否定ではないです)

そんなかんじで、パソコンの世界というのは今までの著作権ベースとは違う情報で成長した側面もあると思う(もちろん、旧来の著作権を元にした著作物で成長してもいる)
なので、パソコンユーザー界のコアな部分では、クレクレのダウソ厨とは別次元でフリーの思想は根付いていると思う。(一方で「人間が動く=コスト」の考え方も根付いている。ふたつの考え方は、一見相反するようで、共存している。)

今はWindowsの時代(GUIメインの時代)になって、大がかりなプロジェクトじゃないと凝ったモノが作りづらくなって、個人作のフリーソフトの重要性が薄れてきいる感じはある。けど、数年前は、Windowsですら、オープンソースLinuxにシェア(個人向け端末の)を食われる危険性があった。自分も大好きなWindows2000だけど、NTベースでDirectXを動かして、しかも安定させる(SP2ぐらいだっけな?)という大技をやってのけたので、コアユーザーが離れなかったんだと思ってる。 2000年当時の個人向け主力OSはWindowsMeで、これがあまりにもひどかったので、ギリギリで流れを変えたって感じを持ってる。
当時はLinuxデュアルブートで動くノートパソコンとかあってそれなりに支持があった。

ちょっと話がそれつつあるけど、
割とコアなユーザーはネットを介した情報共有での進歩やブラッシュアップをごく当たり前に受け止めていると思う。
これも本筋から外れるけど、DTMの世界は、インターネット全盛になる前まで(JASRACが監視をきつくするまで)が盛り上がってた。制作側に敬意と報酬を捧げるというのは当たり前だが、DTMの習作として公開したものやアレンジしたものまで、「著作権」という名前の元で駆逐されてしまった。結果、趣味としてのDTMの敷居が高くなってしまった。奇しくも(?)今回標的になった初音ミクは、そんな、暗雲としたDTMの世界を照らすあかりだと思ってる。作詞作曲歌すべてが「フリー好きな」ネットワーカーで作れてしまうのだから。(いままでも、オリジナル曲にネットで募集したアマチュア歌手が歌を乗せるという手法はあったけど、あまりに大変で、ネットで公開→ブラッシュアップってのが手間だったと想像)
(ついでにいうと、JASRACはネット向けのお手軽な承認システムを確立できずにいるのが、時代遅れだと思う)

ネットでの情報共有のライフラインといえる検索エンジンwikipediaが社会的強者に一方的にコントロールされるという事態は、コアユーザー層にとっては弾圧だし、反射的に危機感を感じることだと思う。
で、今回の事件は(祭りじゃなくて事件だ)、コア層以外にも、2ちゃんねらー含むネットワーカー層も、「見せしめのような、なぶり殺し」感を与えてしまったと思う。

ひねた見方をすれば、ネガティブキャンペーンとして幼稚で下品であまりにそのまますぎる。もっと陰湿なやり方もあっただろうに。

先日日記に書いた某有名人の名前を冠した番組に怒りを覚えたが、
そのときは、「面白可笑しくバカにされた」という感じだったが、
今回の事件は「資本主義型の言論弾圧」つっても過言じゃない気がする。

(ちょっと改題)