(前編)
ミュージシャンのレビュー第一弾は遊佐未森。
つっても、他にレビュー書けそうなミュージシャンは斉藤和義と相田翔子ぐらいだがw*1
んで、遊佐未森。おいらは猛烈に好きだ。2ちゃんの遊佐未森スレでいうところの“ソラミミ信者”で“キモオタ”だ。んで、既婚者だけど、“心は永遠の童貞だ”(゜∀゜)テヘッ
ソラミミ信者ってなんなのかっていうと、2ndアルバムの「空耳の丘」、3nd「ハルモニオデオン」、4th「HOPE」あたりの、特に「作詩:工藤順子/作曲:外間隆史/歌:遊佐未森」の曲をこよなく愛する人達やとかってに認定w その3枚のアルバムをまとめて「ソラミミ3部作」と言ったりもする。
2ちゃんのスレでは、「ソラミミ信者キモイ」→「今時、遊佐未森聞くヤツはヲタ」→「じゃあ、普通って何よ?」という、無限地獄のような煽り合いw ある意味なれ合いかもしれんがww
大まかな流れをかなり主観で書くので、言いたいことあったらコメント欄に書いてねw
まず、1stアルバムの「瞳水晶」。この単語の意味不明かげんとか、デムパチックな歌詞からすると、ソラミミにかなり近いともいえるが、実験的色合いが濃くて、ちょいと荒削り。遊佐未森の歌い方もどこかしらぎこちない。そこに萌えるってのも有りだが(;´Д`)ハァハァ
次に彼女が一番輝いてた時期とも言える、ソラミミ3部作。コアなファンが15年近く(;´Д`)ハァハァ言ってるのも納得の出来。どこにそんなに魅力があるのか。
一つに童話のようなファンタジックさが…。と、書きかけて思った。ファンタジックなのはハルモニオデオン中心だ。そしたら3部作の根底にあるモノは何か? それは「初恋的なむずがゆさ」言い方を変えれば「童貞臭プンプン」w。恋愛というよりは、あこがれといった言葉がしっくり来るような。あこがれの対象に対する「潔癖の要求」ってかんじ?w たとえば「○○タンはおならしない」(○○の中には好きな名前を入れろw)
つまり、理想論っていうか、片思いの妄想の楽しさみたいなものが、この3部作に凝縮されてると思う。
で、ソラミミ三部作の次、5枚目が「モザイク」。おいら的に好きなアルバムだったりするけど、コアなソラミミ信者からは敬遠ぎみ。なんでかっつーと、ある意味、ソラミミと対極にあるアルバムなんですわ。ソラミミ時代の歌詞はファンタジックであり、男とも女ともとれる中性的な表現だったのが、モザイクで少女漫画的というか、「少女の日記」風に。おいらはファン歴3年未満の後追いファンだから当時の状況はわからないけど、おそらく、ソラミミ的なのを期待したファンから「がっかりぽ」といったため息が聞こえてきそう。あ、そうそう、アニオタ的に言えば、アニメ三国志のEDとアルスラーン戦記のEDが収録されているアルバムですw
次が「momoism」。直訳すると桃主義? わけわからん。つー、ツッコミはおいといてw おそらく「mimoriイズム」と名前をかえても問題は無かろうと思われ。*2
と、煽ったが、このアルバムもすっげー好きだったり。ほんまに遊佐未森がやりたいようにのびのびやったって感じ。インストありに詩の朗読有り。全12曲だけど、10曲目が「エピローグ」。その名の通り、アルバムとしてのまとまりは10曲目まで。あとの2曲はボーナストラック的。でも、大好きw。11曲目の「月夜の散歩」で出だしが「♪ネコザメの赤ちゃんはサメでも好きよ」とか「私はねちょっとのろまなとこがある(中略)歩くのは早いほうだわ」とか、もうね、意味不明のデムパな自分語り。そこに萌えるんですがw
12曲目の「ブルッキーの羊」は、童謡にしか聞こえないし*3。この辺の曲にはまったら、なかなか他の歌手に移れませんw ブルッキーの羊が最高に「めぇめぇめぇめぇぇ」とかいう人がいるなら、マジでおかあさんといっしょの曲はオススメでつよw
ハルモニ3枚が独特の世界観に対し、この2枚は「やりたい放題」。次のアルバムからは「アーチスト遊佐未森としての模索(もがき?)」の時代に。そして、ソラミミ3部作の理想の世界で妄想するヲタどもを突き放す現実路線へ突入する。
長くなったので前後編にしまつ。